ウイーンの人々 ユリウス・マインル以降



エリザベート Elisabeth (1837-1898)


エリザベートは自由を求める時代に生まれ育ち、まさにロマンティックな生涯を送った人です。新しい芸術を愛し、洗練された嗜好をさらに研ぎ澄まし、詩作をする。さらには大評判の美貌の持ち主。しかし、彼女は皇帝フランツ・ヨーゼフ Franz Joseph の妻だったのです。

民衆を代弁することで愛し、愛されるこの自由な人物が、同時に全国民の批判の対象でもあったことは歴史の悲劇としか言いようがありません。彼女は時代を愛し、時代に翻弄され、時代に殺されました。訪れた先のジュネーブでイタリア人の急進的な民主主義者に刺殺されてしまいました。亡くなった後には、彼女の愛すべき記憶だけが思い出され、誰もが忘れないようになりました。

エリザベートの死は激動の20世紀の前奏曲のようなもの。十数年後にはその甥の皇太子が同じように暗殺されます。そしてそれがきっかけで起った世界大戦がために夫であるヨーゼフ・フランツも最後の皇帝となるのです。

●エリザベート写真館





クリムト Gustav Klimt (1862-1918)


世紀末ウイーンを代表する芸術家のひとり。装飾の画家と評されるほどのきらびやかな作品は、それまでの絵画の常識から外れる複雑な表現形式を確立するものであり、写実から離れる暗示的なモチーフは、表現の可能性を広げるものでした。性的な要素を奔放に用いたことも当時としては衝撃的です。後にはウィーン分離派を結成して初代会長となります。死後に花開くヴァイマール文化にも、彼の芸術は大きな影響を残しています。

なお彼の無名時代の作品が、エリザベート皇后の部屋には飾られていたそうです。





岩倉具視 (1825-1883)


不平等条約改正のための予備調査を目的とした欧米への岩倉使節団は1871年より始まりました。1873年にはウイーンに到達。「帝宮ニ於テ、フランシス、ショーセフ皇帝、及ビ皇后(エリザベート)二謁見」して、「博覧会ヲ回覧」しています。一行はウイーンを「其繁盛ナルコト、伯林府二匹敵シ、其壮麗ナルコト、巴里ニ亜ス」都と評しています。





フロイト (1856-193)


ウイーンで精神科医を開業していました。彼の作品は厳密には科学ではありません。しかし文学作品としてあらためて彼の仕事を振り返ってみるならば、この時代とこの街とが生みだした新鮮な才能に驚かざるを得ません。




ヨハン・シュトラウス Johann Strauss(son) (1825-1899)


父シュトラウスのワルツを完成させたウインナ・ワルツの王。




ブラームス Johannes Brahms (1833-1897)


宮廷オルガニストを引退後そのままウイーンに住み、後期の大作品に取り組みました。




ニコラウス・アルノンクール Nikolaus Harnoncourt (1929- )


ベルリン生れ。音楽生活を戦後ウイーンにて始める。古楽(古楽器や古演奏法を用いた古音楽の活動)に関心を持ち、1953年にウイーン響のメンバーとともにウイーン・コンツェントゥス・ムジクスを結成。幅広い活動を続け、この分野での大家となります。現在ではたいへんな人気があり、ウイーンでは大統領をしのぐ知名度があるとかないとか。





参考: ヨーロッパ近現代史


中東欧というのは、古代より近代以前まではずっと政治や文化の中心地でした。人や物、宗教や貨幣が行き交う中心であり、集積されるところだったのです。ですから各種の発明や改革もこの地域でなされました。ルネサンスしかり宗教改革しかりです。しかし農業技術の発達で諸侯が経済力を付け、信仰がローマ教会の支配力から分断されてくると、ヨーロッパは再構成の時期を迎えます。これが近代という時代でした。

やがてイギリスでは産業革命が始まります。生産性が高くなれば、最初のうちは国が富んでみんなが喜ぶ。だけどだんだんと金持ちが生まれてくると、領主や国王が何かと邪魔になって、自由を求めるブルジョア革命が起こる。次には金持ちと貧しい人達の差がだんだん大きくなってきて、平等を求めてまた民主革命が起きる。そのような政治的変化があり、思潮が起りました。これがフランスにも飛び火してフランス革命が生まれました。

これらの変化で人々が考えたこと。「自由」は所有することの自由です。畑で採れたもの、商売の儲け、信仰、生き方、考え方はすべて自分自身でどうするかを決められる。「平等」は分配の平等です。貧富の格差が大きければ大きいほど、何かの歪みがある。政治的な権利の優劣が生まれたりもする。これを正さなければいけない。「友愛」は隣人と分かりあうこと。そのまた隣人とも分かりあうこと。ひいては人々を結びつけて国を作る力となるものです。これらは相互に対立する考え方ですが、聖書にその基礎を求めていたりもしますので、複雑にからみあった時代の流れとなっていきました。

ドイツ以東の状況。産業の近代化はあまり進まないものの、東ヨーロッパは古くからの生き方を続けていたので、それなりに安定していました。しかしナポレオンがこれをまとめて破壊していまいした。ばらばらになった諸領地がなんとか集まろうとして、ドイツやイタリアなどの今ある国々が生まれました。その過程で西欧の新しい思想が伝わってきて、自由と平等の運動がいっぺんに盛り上がりました。まだ近代化していないのにそういう運動が起ってしまったら、ぞの矛先は封建領主に一点集中するしかありません。

19世紀の中欧の文化の特徴はロマン主義です。自分のことは自分で決めるとか、見果てぬ夢を見るとか、形式にとらわれずに表現をするとか、形式が形式であるというだけで単に壊すとかやり始める。今は苦しい、昔は良かったと古代や中世を美化する。民族意識が強くなれば、今度は我々民族はかくあるべきだと根拠もなく思い込む。それで民謡だとか民俗だとかをモチーフに音楽や小説を作り始める。そういうことがまとめて起ります。どういう風にすればいいかは分からないけど、とにかく今あるものはみんな駄目だから壊そうという焦燥感が蔓延します。

ローマやウイーンという街は、もともとがすべての中心であったので、いわゆる伝統というものがあります。たとえて言えばちょっと前までの京都みたいなもので、何か文化的なことをやろう、どこでやろうかとなると、じゃあウイーンでやろうという具合に想起されるところです。そういうわけでいろいろなウイーン文化人が集まります。ある哲学者は爛熟した19世紀末のウイーンをひっくり返したがらくた箱と形容したものです。

しかしさまざまな矛盾や衝突の集まる土地のことです。20世紀になると政治的な緊張感が限界を超えて、世界大戦の時代を迎え、その中心へと変化していったのです。帝国は崩壊し、民族は統合あるいは切り離され、今日のヨーロッパの源が築かれました。

大勢が平和になった今日、ローマやベルリンやウイーン、ザルツブルグの街はかつての文化の都の姿を取り戻しています。EC(EU)が編成されてソビエトが崩壊する不安定な今日、人々はアイデンティティや精神的な拠り所を文化に求めています。ウイーンは今でも音楽の街であり、ローマには法皇がいます。

カフェハウス(コーヒーハウス)の300年は、ちょうど激動のヨーロッパと時代を共にしてきたことになります。詩作と計略、忘却と反省の舞台にはいつでもコーヒーがあったものです。一杯のコーヒーに物思いするのも、なかなか良いものです。